気になる一言
昨日、ある人から「そのやり方はおかしいのでは?」と言われた気がした。
気がしたというのは、ハッキリと言われた訳ではないから。
でも、相手の言いたいことってなんとなく伝わりますよね?
だから、責められた気がして落ち込んだ。
いや、落ち込まされたのではなく、
自分が落ち込みたかったんだ。
実は私は迷っていた。
このやり方でいいのかって。
そして、目の前の人を使ってそれを炙り出そうとしていたんだ。
自作自演なんだよね。
それに気がつくと、実は私が迷いたかったことにも気づく。
迷いたいというずるさ。
あのやり方がいいのか、このやり方がいいのかって迷っているうちは、自分で責任取らなくていいし、あれこれ考えられて暇つぶしもできる。
さな
何より、小さな頃から迷うことで母親から関心を払ってもらえたし、心配やアドバイスをしてもらえた。
私と母の太いつながりが私の迷いから生まれていた。
何かに迷うと必ず母に相談し、母は自分事のようにあれこれ考えてアドバイスをくれた。
そうしてうまくいくと母はすごいなと思えたし、うまくいかなくても母のせいにできた。
だから私は迷ってあると安心するし、基本的に迷いたいんだと思う。
ただ、迷ってばかりも嫌だという気持ちもある。
本当の自分は自分で決めたいと思っているし、本当はやりたいことわかってる。
それをしないのら怖いだけなんだと思う。
迷ってもいい。
自分のやりたいこと自分で決めてもいい。
批判されてもいい。
それは、仕方がない。