明日でお別れ。
明日は、赤ちゃんを火葬して、お別れをする日。
私、旦那さん、子どもたち4人の家族で見送る日。
今朝、旦那さんが旦那さんのお母さんに宛てた手紙を見せてくれた。
今の正直で、真摯な気持ちが書かれていて素直に感動した。
旦那さんは、なかなか素直にお義母さんに気持ちを伝えられない人だったから。
私は、5人目を産むなと言った両親をやっぱり受け入れられずにいた。
出来ることなら受け入れたいと思っていたけれど。
旦那さんの手紙を読み、いいなぁと思った。
午前中、子どもたちと図書館へ。
途中の東屋で、落ち葉で遊ぶ。
こんなひと時もシアワセなんだなぁとしみじみする。
午後は、レンタル屋で借りた「シンデレラ」を観た。
最後に散々嫌なことをしてきた継母に対して、シンデレラが「あなたを許すわ。」と言うシーンにズキりとする。私は両親を許すことができるのだろうか、と。
そして、夕食の準備をしていると、旦那さんからお笑い芸人のハナワさんが歌っている「お義父さん」という歌が紹介されている新聞記事を見せてくれた。感動して、YouTubeで動画を見るとまた感動。
特に「お義父さんのことを嫁が悪くいうことはなかった」というところで泣ける。私は本当は許したいのか?
そしてそして、今日読んでいた「妻に龍神がつきまして」の本。
それを読みながら、実家の近くにある神社へお参りに行こうかと思い立つ。
そして、その時に両親に会って報告しよう。
何て言われようと、私の言いたいことを言おう。
月曜日、いこうと思っている。
さっき、赤ちゃんに祈るとき、赤ちゃんの声が聞こえた。
「ママ、自信もって。大丈夫だよ。」って。
空耳かもしれないけど、可愛い素敵な声だった。
ありがとう。
明日みんなで送り出すからね。
浮いたり沈んだり
死産の手術をしてから、2日。
今朝は悲しみが溢れる朝だった。
職場で「赤ちゃんがお腹にいる」報告をした時のことを思い出し、「もういないんだな。」って。
もう、いなくなっちゃったんだな。
もう、私のお腹にいなくなっちゃった。
もう、天国に還っていっちゃった。
彼(男の子だったから)にもう会えないんだ。
やっぱり、悲しい。
昨日は、ホッとしている、なんて書いたけれど、
それも少しあるけどさ、、、
やっぱり、、、
悲しい。。。
寂しいよ。
小さな命が私をどれだけ支えてくれていたんだろう。
会いたいよ。
やっぱり、大丈夫なんかじゃない。
全然大丈夫じゃないよ。
あなたがいなくなって、私は大丈夫じゃない。
悲しくて悲しくて、悲しいよ。
どうすることもできないけど、悲しいよ。
言葉を吐き出すと気持ちが整理できる。
昨日、メンターの方にメッセージを送った。
昨日の記事も転送した。
すると、「ある意味、気持ちを整理しているところもあるのでしょうか?」とフィードバックをもらった。
わたしは無意識で書いていたけれど、確かに吐き出さずにはいられなくて、その根本には、「気持ちを整理したい」という気持ちがあったことに気がついた。
なんで整理したかったんだろう?って考えてみると、自分を正当化したいという気持ちが出てきた。
何を正当化したかったのか?
それはやっぱり、親を許せないという気持ちだったのではないか、と思い至った。
メンターの方からさらに、
「お母さんたちを許すということは、自分の中の嫌っていた自分を許す(愛する)と言うことでもあるのかなと思います。」
「親は自分のルーツなので、親に怒ってるとか許せないとかは、自分の中にある親から受け継いだ部分を嫌うことでもあるんですね。」
ともフィードバックをもらった。
自分はこんなにも悲しい。
こんなにも愛おしい命を殺せと言った両親のことが許せない。
私は正しい。両親は間違っている。
それを正当化したかった。
でも、フィードバックをもらって、
振り返ってみると、、、
私の中にもどこかで
「楽になった」
「よかった」
という気持ちがあることがわかった。
5人目を産むことに関して、
本当に経済的な不安が大きかったし、
肉体的にも精神的にも厳しいと感じていたのは確かだった。
だからこそ、両親に大丈夫だよ、協力するよって言ってほしかった。
でも、堕ろせと言われて本当に悲しかったし、寂しかった。腹が立った。
赤ちゃんが天国に還って、
とても悲しかった。
でも、同時にホッとしている自分もいた。
だけど、ホッとしちゃったら、あの憎たらしい両親と同じになってしまう。
だから、認めたくないって思っていた。
でも。
確かに、ホッとしている私もいる。
そんなひどい私もいるんだよね。
両親は、きっと私に大変な思いをして欲しくなくて、愛情から言ったのかもしれない、と少し思える。まだ腹は立つけれど。
時間がかかってもいいよね。
吐き出しながら、気持ちを整理していこう。
今日は、療養のお休み中にやりたいことリストを書いてみた。とてもワクワクしている。
死産の手術を終えて
今、無事に死産の手術が終わった。
とてもホッとしている。
朝7:35に分娩室へ行き、子宮を広げていた薬を抜いてもらった。
陣痛促進剤の膣剤を入れると前日説明があったけれど、「薬を入れなくても、もう赤ちゃんが出てきたね。自分で出ようとしていたんだね。」と先生。
そして、赤ちゃんを見せてくれた。
とっても小さくてぬるっとしていて、ぷにょぷにょしている赤ちゃん。
手のひらの上に乗りそうなくらい。
でも、顔もわかるし、ちょっとだけおち◯ち◯があって、多分男の子だって。
会えて嬉しい。
先生が、「染色体異常と臍帯血の異常もあったから死産になったのかもしれないね」と教えてくれた。
その後麻酔をして、胎盤や子宮の中のものを出す手術になった。
麻酔で別世界へ2時間くらい行っていた。
だんだん意識が戻ってくるときに、夢なのか分からないけれど、金色やキラキラした紫やピンクの粒々の川の流れを見た。行ったり来たりしていて、とても綺麗だった。まるで赤ちゃんの魂が天に還って行くみたいだった。
手術を終えて、自分の体と、出てきてくれた赤ちゃんと、先生やスタッフの方々と、日本の医療と、社会保障と本当にいろんなことに感謝でいっぱい。
今日、あなたに会えて良かった。
私のところに来てくれて、ありがとう。
本当にありがとう。
みんなそうやって生まれてきたんだよね。
私も。
本当に貴重な経験をさせてもらった。
赤ちゃんが病室に来てくれた。
日曜日に火葬するまで、一緒にいようね。
思いを言葉に。
思いを言葉にしてみよう。
だれか1人でも何かを感じてくれるかもしれない。
誰もいなくても、自分のために書こう。
昨日、お腹の赤ちゃんの心臓が止まっていることがわかった。
明日、手術をして、赤ちゃんをお腹から出す。
どうして赤ちゃんが天国に還ってしまったのかは、私には分からないけれど、赤ちゃんが来てくれたことで、良かったことがたくさんあった。
私にはすでに4人の子どもがいたから、赤ちゃんが来た時に、とても驚いた。どうしよう?!と不安になった。仕事のことやお金持ちのことをぐるぐると考えた。
だけど、やっぱりお腹にいるって分かったら、もうその瞬間から母性が湧いてしまう。
親には猛反対されたけど、それでも、私は産むって決めた。親とは縁を切ってもいいと思ったし、今回のこともまだ伝えていない。
今まで私は親の機嫌をとるために頑張って生きてきたけど、反対されても産むって決めるのはとても勇気がいったけど、でもそれを覚悟を決められて、ちゃんと親にも怒りを出せて、やっと親離れができたんじゃないかと思っている。
お腹の赤ちゃんは、私に親離れをさせるために来てくれたんじゃないかと思ってる。
親への怒り。
私はずーっと出してはいけないと思ってきた。
出したら余計に父に怒られたり、母を悲しませるって思い込んできた。
でも、出したらすごくスッキリしたし、なんか自分を誇らしく思えた。本当のこと、親にも、誰にだって言っていいんだ。
受け止めてもらえなかったけど、自分のために、言えてよかった。
だから、何かモヤモヤするものがあるときって、親や誰かにに言いたいことが言えてないんじゃないかな。
思いを言葉に。
まずは書いて、そして、言ってみよう。
入院した病院の食事に癒されている。
そして、死産の時にも出産一次金をいただける日本のありがたさに感謝。
書く気がしない
ブログを始めてみたものの、
なかなか書く気がしない。
というのも、書くことへのハードルが高いのだと思う。
自分の思いをしっかり向き合って伝えなきゃとか、相手に分かってもらわなきゃとかいらないものを背負っているんだ。
そんなものは捨ててしまえ。
書きたいことを書くでいい。
くだらないことでもいい。
寒くてやる気がしなくてもいいよ。
ダラダラしたくてもいいよ。
さあ、ダラダラしよう。
伝えることを怖がらない
人に、特に大勢の人に自分の思いを伝えることは勇気がいる。
だって、批判されたら嫌だし、喧嘩になるのも嫌だし、言わなくてもわかってよと思うし、面倒だし。
(こんなに理由がすぐ見つかる)
だから、自分がどんなことをその場に望んでいて、今後どんな風にしていきたいと思っているのかを語ることから逃げていたんだ。
昨日、そのことに気が付いて、思い切り、
25人のメンバーに対して語ってみた。
私は、「自分も大切、まわりも大切にできる社会をつくりたい。だから、この場もそうあってほしいと思っている。そのためにみんなの力を貸してほしい。」と考えていること。
すると、全員ではないけれど、それまでとは表情が変わり、
明らかに場の空気が変わった。
そして、メンバーの「自分も大切、まわりも大切」な行動を見つけ、喜んだ。
その度に場が温まる。
反面、自分もまわりも大切にしていない場があるときにはストップをかけて、どうしたらよいかを一緒に考えた。
もう少し個別に声かけがあってもいいかもしれない。